むぎ(渋谷フェチM性感C.C.Cats)の写メ日記

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矛盾した人間性
2024年4月18日(木) 18:47 by むぎ
たまに私は身を削ぐような思いで文章を書いていることがあります。この日記なんかも特にそうで、これは複雑な感情を言語化することで、自己認知することを目的としています。

正直こういうのはブランディングのためになるべく書かないほうがいいのだろうけど、きっと私と同じような価値観でSMやプレイをしている人がどこかに居ると思うので、こうして書き残します。もし良ければ読んでください。




今日友達と長いこと話をしていて、どういう流れでそうなったのかは忘れましたが、私がMをしていた頃の話になりました。「どんなプレイをしてきたの?」と聞かれました。

少し前に「私は、可愛いM女性になれたことは一度もありません」と書きましたが、本当にそうで、私が受けていたプレイは本気で嫌がって逃げて、痛がって、拒否をしたり、敵意を相手にむき出しにするプレイです。

それを話すと「なんでそんなに痛くて嫌なことを自分から受けていたのか」と聞かれました。

ただ今そうやって友達に聞かれて鮮明に思い出しては、「痛い、嫌だ」と素直に口に出せることが、好きだったのを思い出しました。あれだけ素直に、真正面から恐怖や怒りを露わにして他者を拒絶できた経験が、少なくとも私の人生にはプレイの中でしかありません。

私が初めてきちんとMとしてSMプレイを経験した日も、「お前に私の何がわかるのか」と言って本気で相手にブチギレました。ですがそうやって他者に初めて心の底から怒れると、不思議と、他のことに対しても全部正直に話すようになれました。本当にあのときはいい経験をさせて貰ったと今でも思っています。


ああ書きながら段々と鮮明になってきて、いまハッキリとわかりました。

私はそれだけ他者を拒絶したかったのか。もっと自分勝手になりたかった。他者の我儘を許容してばかりの人生が腹立たしかった。

悲しくも私は自己犠牲が大の得意で、子どもの頃から家族のことばかり優先してきました。

だからこそSMや、セック.スや、ペニバンプレイで、今は自分が主導権を持てることがこの上なく幸せだと感じます。

マゾたちが私に「むぎさんになら何をされてもいい」と身を差し出してくれると、すごく自由になれた気がするし、そんな男性のことを非常に愛おしく思います。

私は自分勝手になりたかっただけで、SでもMでも行動原理は全く同じなのだと気づきました。


よくSMでは、普通に常識人として仕事をする表の顔があり、周りには絶対に言えないけど本当は変態で、それは表裏一体であるなんて言われたりしますが、私も典型的なそれだったのかもしれません。

普段の私は他者を優先しすぎていて、価値観の奥底には「他者に優しくしないといけない。そういう自分でなければ」というのが常にこびりついていました。だからSMプレイ上で「本当は自分勝手になりたいのに、自由になりたいのに」という感情や暴力性を発散していたのです。


友達との会話だけではなく、実はもう一つ私がこのことを気に掛けるきっかけがありました。

その日は縄の練習のために出向いたのですが、私がそれを言い出すタイミング逃していると、先輩女王様がなんとなしに「むぎちゃんは縄とかしないわけ!?」と元気に話を振ってくれました。

その時の私はびっくりしながらも「どうして私が縄をしたいって思ってるのがわかったんですか」と聞くと、「むぎちゃんはね、あれしたいこれしたいって言えずに遠慮しがちなのよ。もっと自己主張していいのよ」と言われてしまい、あまりにそのことが図星すぎて、恥ずかしくなってしまいました。久々にあんなに顔を赤らめたように思います。


最近私はシェアハウスも始め、他者と生活圏を共にすることが増えました。何かちょっとした揉め事が起こると、自分が率先して気を遣い、大人になり身を引くことが多くなりました。理想の大人というのは、S側の人間というのは、常にそうであるべきだと思っているからです。なるべく優しい人間という皮を被っていたい、それがカッコいいから。

ですがこの二か月ほどは、その姿勢が仇となり、私の心に影を落としていました。色々と自分なりにも気分転換などを試みて対処してみてはいたのですが、根本的になぜこの生活が自分を辛くさせているのかまでは分かりませんでした。

今日の一連の経験を通じて、ああ、最近の私は自分勝手になるのが足りなかったのだと気づけました。怒りたいときに怒り、拒否し、攻撃し、自分の得になるように動きたかったのです。

いつも頭の中で「普通マゾだったからこうやって調教するけど、相手は友達だから平等に尊重して扱わなきゃ」なんてきれいごとを復唱し、ずっと自制していました。それがここ最近私の首を絞めていたようです。

私は優しい自分でありたいと同時に、自分勝手でいたいという矛盾を持っているようです。ももえさんがよく言うアンビバレンスですね。

最初にこの日記を書き出した時は正直、なぜこんなに自分がモヤモヤとしているのかが分からないほどでしたが、こうして言語化できてよかったと思います。自分が日常生活で苦しんでいる理由も、プレイで大切にしたいことも思い出せました。


私はマゾのキャパシティを見定めて、堕としていくプレイばかりします。マゾの身体を敏感にすることや、私の体液を受け入れさせるように仕向けていくのは、好きな男性を思い通りにする下準備です。私があなたたちのことを好きなだけ虐められるように、受け入れる身体を作っていくのです。

普段、他人に優しくいるように心掛けたり、気を遣っている反面、プレイでは相手を自分の好きにさせてもらうことで欲を発散させています。

あなたたちにもきっとそういう側面があるはずです。

私とは逆で、いつも指示する側の人や、ある程度の自己主張が仕事などで求められる人であれば、「誰かに全部を決めてほしい。誰かの言うことを聞くだけの人生がいい」と思うこともあるでしょう。もしもあなたが普段他人のサポートをすることが多いのであれば、プレイ中はもっと自分の存在や姿を沢山見られたいと思ったりするのではないでしょうか。

自分の中にある矛盾したものをむき出しにしてくれるのがSMなのかもしれませんね。

その矛盾しているものはなるべく早く見つけてあげるべきです。矛盾は心のカビと一緒で、認知しない限り、あなたの健全な心を侵食していってしまいます。


私とあなたたちは、ドミナントとマゾヒストで、「犯したい」「犯されたい」であるとか、「与えたい」「与えられたい」という利害が一致することがよくあります。

ですがこれは利得という一次元的なものではありません。単純な「犯したい」、「犯されたい」や「見られたい」にも、そう思うに至った何かしらの背景があるはずです。そういった二人の歪な人間性を交わらせているのが、プレイなのかもしれません。

そう考えるとよりいっそうエッチに感じてきますね。

私にも貴方にもある矛盾した人間性と、弱さをそのまま愛していけたらいいなと思います♡


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