こんばんは
寒さが戻り、また冬に
体調、おかしくならない様に、気をつけなくては
昨日は、豪雨の中、会いに来てくださり、ありがとうございます
楽しい、お時間は、いつもあっという間に、過ぎてしまいます
またのお誘い、元気にお待ちしてます
今日は、私の大好き、野村克也さんの、引退を決意した瞬間の話を、ニュースで発見
「生涯一捕手」を、掲げて、南海のプレイングマネージャーを解任された後も、ロッテ、西武へと、現役生活を続けていましたが、1980年9月28日、西武球場(現・西武ドーム)での阪急(現・オリックス)戦で、走者三塁の場面で、ノムさんは打席を迎えました
ノムさんは、それまでに、通算犠牲フライを113、マークしてました
この記録は、今も、破られていない、プロ野球歴代1位の、記録です
その当時、「犠牲フライなんか、いつでも打てる」と思っていたと、後に話してましたが、それを、知ってか知らずか、当時の、根本陸夫監督は、ノムさんに、代打を、送りました
「球界に咲いた月見草」では、確か、この代打は、鈴木葉留彦選手だったかなぁ代打を出され、内心は、鈴木葉留彦選手がアウトになることを望んでたと
「チームスポーツにおいて、チームの勝利を思わなくなったら、身を引くべきだ」 と、その時に、引退を決意したと
プライドを傷つけられた時、大ベテランでも、チームの成功より、自分の感情を優先にしてしまうと言う、ノムさんらしい、人間臭くて、印象深い話でした
ノムさん程の、大選手に引退してもらうには、言葉ではなく、チームに不要であることを、采配から伝えるしかなかった
ノムさんに代打を出し、引導を渡せるのは、根本さんぐらいしか、その当時は、いなかったんじゃないかなぁと、思ったニュースでした
またまた、個人的好きがたくさん詰まった、野球日記でした
では、そろそろ、おやすみなさい