今日は朝のごみ出しに行けました
ごみを出す時は、なるべく回収日の朝にするようにしています
夜に出したごみに、カラスやねずみなどが漁りに来てしまうと駆除の対象になってしまう可能性があるからです
(私も仕事帰りに、すでにゴミが入れられた集積所でよくねずみを目にするのですがかわいい)
(彼らは病原菌を媒介する害獣とは言え人間の工夫しだいでは正しい距離を保てると信じたいです)
そのような事情から収集日の朝は早めに起きて、収拾車が来るまでのタイムアタックをしているわけですね
しかし面倒な事ばかりではなく、今日はご近所に住む私が密かに尊敬しているおじいさんに挨拶することが出来ました
なんと彼は先に集積所に着くとネットを上げて「どうぞ」と待っていてくれたのです
紳士だ季節の花々を愛で、ハロウィンには子供たちにお菓子を配り、休日には孫たちが遊びにやってくるまさに絵に描いたようないい人奥様も上品な方で、穏やかでとてもお似合いのご夫婦
そのような貴人と挨拶を交わせると自分の存在が許されたような気持ちになって
でもすぐにそれに比べて自分は何なんだろうさっきごみを出すついでに集積所に横たわってくれば良かったなあなどと考えながら、洗濯のスイッチを押すわけです
川に洗濯しに行っていた時代と比べてだいぶ楽になったよなあでもその代償としてあらゆる資源を消費し環境にも悪影響を及ぼしているんだよなあ
そこまでして自分は楽をしておいて、他の人は何かを生み出したり周りから慕われていたりするけど、私の場合は恩恵を享受するばかりで何も環境に貢献できてないよなあ
私がごみ拾いをするのは罰と言うか、贖罪というか、ぶっちゃけこんな私が生きててすみませんって気持ちが根底にあるのだと思います
拾っても拾っても誰かがまたそこに捨てる、拾った場所が一時的にきれいになっても他の場所は今も汚れたまま
私はその現実を直視し続ける事で自分と一部の人間に絶望してしまいましたが
それでもあのご夫婦であったり、生き物を守るための活動をする人々のような善い人間も確かに存在するわけで
そういう人の身代わりになって車に轢かれたり銃弾を受けたり組織から拷問を受けたりしたいなあと思いました
よろしくお願いします
みき