ちりこ(日本橋・谷九サンキュー)の写メ日記

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ちりこ

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ぬー
2024年5月18日(土) 23:16 by ちりこ

みなさま












ひとりじゃないですよ


























唐突すぎるわな。
















んやー










大丈夫なんですよ



















大丈夫になるんですよ




















大丈夫なことに気づける























ぼくがひとをなるべく全て受容しようとしたり、男女年齢問わず愛してるよって思った時に逐一伝えるのは、ぼくがぼくに言い聞かせようとしてるからです






























ぼくは貴方だから


























大事な人を癒せば自分が癒えるんですよ






























ぼくは、ODが嫌いなのでしませんが、なにもパキってなくとも、自己催眠的に変性意識状態に入ることができます(自他ともに認める)
























所謂大麻とかって、トリップする、とかゾーンに入る、ていう感覚があると思うのですが、それに近いんじゃないかと。























曲を聴いていると、骨の芯、真髄まで染み渡ってるというか、寧ろ曲自体になっちゃってるみたいになったり























これ、伝わる人伝わらない人居るのですが、例えば大縄で今!ってタイミングの時とか、例えばなんかよくわからないけど上下してる点があって、ある一瞬がビシっと決まるときみたいな













リズム天国を想像したら分かりやすいですね

























そういう瞬間が日常には有り触れてて、所謂"勘が冴える"とか"勘繰りやすい"と表現出来ると思います






























その変性意識状態には、常に入っている訳ではなくて、入ろうと思って入れるものでは無いです





























ならば何がトリガーになって入れるかというと、普段から花を見たら愛しんだり、動物の声を聴いたり、ぬいぐるみに温かさを感じたり、多くの人の愛に触れて愛が近くなると、入りやすくなります。


























わたしは人が好きなので、
植物状態でも顔無くても四肢無くてもインポでも愛せます。







草木や猫やカラスも愛せるなー、使用済の外に落ちてるコンドームも、信号も、ホームレスも、ラベルの剥げた空き缶も、地面も、空も、天気も、海も、高層ビルも、ボロ屋も、集落も、なんでも、愛せます。





























そういったものを感じやすい、"愛が近い"状態に入ると、キマりやすいですね。
これを通称"愛でキマッてる"と言っています笑




















愛が近い、と言いましたが、表現してあまり耳馴染みは無いのではないでしょうか。
























わたしは愛の定義、愛というものは、ずっとそこに在るものだと思っています。
























恋愛に限りある一人を最上位に愛することだけを愛にすれば、ちょっと違うのですが、いつも根底に居るものだと思っています。

























私は愛は、ずっと在るものだと思っています。
恋愛に限りある一人を最上位で愛することだけを愛にすれば、ちょっと違うのですが、いつも根底に居るものだと思っています。



私は愛は、ずっと在るものだと思っています。
恋愛に限りある一人を最上位で愛することだけを愛にすれば、ちょっと違うのですが、いつも根底に居るものだと思っています。


例えば猫がそこで寝てたり、パン屋さんからいい匂いがしたり、公園ではしゃぐ子供たち、それを見る老夫婦、おしりを揺らしてパンくずを食べる鳩、あたたかい太陽、を浴びて温かくなった砂場、そこにあるちいさな城跡、その横の地面の砂に描かれた丁寧なアンパンマン、の横にある小さなちょっと歪なアンパンマン、

















言ったらキリがないくらい愛があって、愛は生まれるものでもあり、ずっとそこに居るものだと思っています。































好きは、断片的に排泄されるものかな?
(オシッコかけるみたいなもんと言ったらマジでわからないと言われた)
好きも継続されるけど、あ、好き、てなる瞬間があるからデカい愛の中に好きがある、みたいなイメージかなと。























そういう愛が湾曲して伝わったりそこに在ることに気づけない、ていうのが愛が無い、とか愛がわからない、て状態なんじゃないかと思います。






















人間関係の歪みの7割は、嫉妬か、愛の齟齬だと思っています。

































だから、掲示板で私を叩く私を嫌っている人間も、結局は何かしらの嫉妬が入り交じっていると解釈しています。

























好きと嫌いは近いってか一緒なのでね。
わたしは自分を嫌いな人に頭おかしいフリして近づく癖があります。
そうすると、マブダチになれちゃいます。

ある程度仲良くなった時に、なんで嫌ってたの?と問うと、「得体の知れなさと、有り得ないくらいの素直さへの羨望と嫉妬」


と多く答えられます。























知り合いに、貴方が素直なのは、感情は生物なだから果物と同じように新鮮な内に伝えたいからだ、と言われました。


















確かに、わたしは好きっていう気持ちが変わったり、無くなったり、変動することを知っています。






























だからこそ思った時に思った人へ思ったままに伝えます。






















性善説とはまた違うけど、そういった意味では自分は物凄く愛を信仰している節があります。
信仰、つまりそれは求めているので、やはり探し求めてしまっているのだとも。























でもそれ自体つまり愛だし、今あなたがこのnoteを見ていることもそれつまり愛だし、ていうかあなたが愛だし、わたしが愛やねん。


でもそれ自体つまり愛だし、今あなたがこの写メ日記を見ていることもそれつまり愛だし、ていうかあなたが愛だし、わたしが愛やねん。






















みんな自信がない。
みんな当たり前に救われたい。受容されたい。




















ぼくは人がすきです









































探すものではなくて、いつもそこにあるものだよ。
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